じぃちゃんのblog

身の周りの出来事など気の向くままに書いてます

2019年09月

秋ですね

こんにちは 訪問いただきありがとうございます。

この2.3日、朝晩はすっかり秋めいてきました。

あの猛暑日の頃を思うとずいぶん楽です。

「何とかごころと秋の空」っていいますから長くは続かないのかも!

生産緑地の塀の上からススキの穂だけが見えていた。
すすき

畑の周りにはコスモスも
コスモス





お墓参り 

こんにちは 訪問いただきありがとうございます。

お彼岸の昨日。前日の天気予報では時々雨となっていた。

娘からの問い合わせにお墓参りには行かないと断っておいたのだが...

お天気ばかりじゃなく2.3年前から電車でのお墓参りは体力的にきびしくなってきたからだ。

朝、起きてみればピーカンの上天気じゃないの。

空を見ているうちに体力低下とお天気を理由にお墓参りをズル休みしたような気分になる。

あとで行けば良かったと後悔するのもイヤなので急遽一緒に行く事にした。

ここに移住してきて13年。

たまたま娘の嫁ぎ先家の菩提寺が信濃町、我が家の墓地は青山と歩いても15分ほどの距離。

いつの間にかお彼岸の墓参は一緒に行くのが両家の恒例行事になっている。

今年は、先日結婚した孫君の嫁さんもご先祖様への報告も含めて総勢5人での墓参となる。

先ずは信濃町のお寺さんへ。

信濃町駅から急勾配の千日坂を下り公明党本部の前をしばらく歩いた所に菩提寺はある。

この道は狭いので赤坂御所方向からの一方通行でタクシーは入って来ない。

駅に出るにもタクシーを拾うにも、あの急勾配の千日坂は登らなければならない墓参唯一の難所。

数年前までは大して気にもならなかったが今はもう大変。

息はハァハァ心臓はバクバク。エスカレーターをつけて欲しいと思うね。

この辺にはトシヨリは住んでないのかって考えちゃう。

もうチョットで坂の上というところで中年のご婦人に声を掛けられる。

ここへ行きたいんですが、って見せられたのは絵画館の入場券。

通りの向こう側の屏に沿って行けば外苑に入れますよ。と教えて上げる。

それでお終いと思いきや、オバサン、私60年前にこの近くに住んでいたんです。

駅前に、松なんとか?って言う旅館があったんですが今でもありますかと。

どうやら、じぃちゃんのことを近所の人だと思っているらしい。

あの頃はと話しは続く。このままだとオバサンの昔話の餌食になりそう。

ゴメン、連れが待ってるからとご勘弁願って駅へ。

ここからは、タクシーに分乗して青山へ。

じぃちゃんは婿殿と先のタクシーへ。行く先は青山墓地の入り口と告げる。

婿殿も伊藤忠の前って念を押す。なのに車は何故か乃木坂方向へ直進するじゃないの。

ドジな運転手がいるんですね。結局、青山葬儀場でUターンする羽目に。

まぁ、色々あったお墓参りでしたが雨にも降られず無事に終わったというお話し。

お疲れ様でした。

写真はお寺の庭に生っていた柘榴
ザクロ






底抜け田圃のイモリ

2週間以上も投稿を休んでしまった。

これと言った理由はないが強いて言い訳すれば暑さと台風15号だろう。

幸い、直接台風の被害はなかったが、千葉県の被害の様子が日を追って明らかになるにつけ、とてもブログの投稿をする気にもなれなかったのだ。

今日の天気予報も被害に追い打ちを掛ける大雨になるとのことで心配だ。

未だに停電、断水の復旧の目途が立たない地域があるので一日も早く普段の生活に戻れることを祈るばかり。


で、今日は前回の投稿 『ヤモリの赤ちゃん』 の続編。

ヤモリを見て、何故か子供のころ遊んでいた 「底抜け田圃」 を思い出した。

思い出すと言っても、それは実際に体験した事の1%にも満たないおぼろげな記憶だ。

なぜ 「底抜け田圃」 かと云えば、そこにはイモリ (赤腹) がウジャウジャといたからだ。

ヤモリ→イモリ→底抜け田んぼと連想したワケ。


時は昭和7・8年、じぃちゃんが4・5歳の頃だから85・6年前。場所は渋谷区は上原。

現在の上原近辺をご存じの皆さんには到底信じられないだろうが、今は高級住宅地のド真中に 「底抜け田圃」 と称する沼地が存在してたんです。

「底抜け田圃」 は子供の目では田圃と云うより大きな池か沼のように見えた。

名前の由来などは分からないが、近辺では危険な場所とされていて、親からは決して近寄ってはならないと注意されていたのだ。


危険と言われると子供の好奇心は余計に盛り上がる。

悪ガキどもと一緒に親の目を盗んでは遊びに行ったものだ。

「底抜け田圃」 の存在したことや、その地名をご存じの方はもう居ないのではと思っていた。

試みにネットで検索してみたら、ヒットしたじゃないの。

記事に依れば、元々は深田(泥深い田圃)であったが地主の都合で耕作を止めて土地を売ったとか。

深田だから 「底抜け田圃」 と呼ばれていたのかも...

田圃があったと言うことは水利もあったはず。

どこの川から流れ込んだのか、近くに湧水でもあったのかは分からないが耕作をしなくなってからも水は流れ込んで、この谷間が沼地化したものと推測される。



小田急線の代々木上原駅からかなり急な坂を登りつめると細い道に出る。

現、井の頭通りを渡り、南へ向かうと鮫洲大山線 (都道420号線) につながっている。

この道、当時は上道 (うえみち) と呼んでいて、上道と小田急線の間は谷間に。

反対側、富ヶ谷方面も低くなっているので上道はちょうど尾根にあたる所だ。

上道から急な坂を小田急線の方へ下がった所に 「底抜け田圃」 はあった。(地図参照)

赤丸のあたりが 「底抜け田圃」  左の地図は1940年代の物だが1930年代とほとんど同じ。
底抜け田圃
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子供目線で見た風景は、左手に東北沢駅と線路に隣接して砂利の集積所があり、時々運ばれてくる砂利専用貨車がザーっと大きな音を立てて砂利を落とす音が今も耳に残る。

右手方向は疎らな住宅が雑木林の間に点在し、その向こうにフイフイ教寺院(現、東京ジャーミー)の大きなドームが見えた。

「底抜け田圃」 から東京ジャーミーを見たのはこの時点であったか、1・2年あとであったか記憶は曖昧だが大きな時間差はなかったと思う。


「底抜け田圃」 で遊ぶ場所は田圃の縁に添って綺麗な水が流れる小川だ。

水深も浅くゆっくりとした流れに入ってパシャパシャやるだけこと。

小魚もいたのだろうが、イモリとゲンゴロウは覚えているが他には何が居たか記憶がない。

爬虫類などが苦手な人はイモリを見るのもイヤなんだろうが子供にはカブト虫や蝉と同じなのだ。

流れに手を入れれば簡単にイモリをつかめる。

数匹を捕まえて尻尾を持って田圃に投げ、誰が一番遠くに投げられるかを競ったりして遊んだ。


イモリは毒を持っていると聞いたがどんな毒なのかは知らない。

イモリに噛まれて怪我をしたとか毒にやられたのを見たことも聞いたこともない。

昔はイモリの黒焼きを薬として売っていたから毒があると言う説は疑わしいなぁ。


今は子供の遊びも多種多様だが、じぃちゃんが子供の頃の遊びは限定的で遊び場の多くは屋外だ。

いきおい、遊び方や遊具も自分達で考え出したりしていた。

機会があれば遊具や遊び方も紹介してみようと思っている。


ヤモリとの出会いが、面白くもない思い出話しとなってしまったが、お付き合い下さった皆様、ありがとうございました。





ヤモリの赤ちゃん

こんにちは 訪問いただきありがとうございます。

蒸し暑い日が続きますネ。

突然の雨に洗濯物を取り込もうとベランダへ。

足下にチョロチョロと動いているものが目にとまる。

体長 4~5 センチぐらいのカナヘビの赤ちゃんかと思った。

何処から迷い込んだのか分からないがこんな所じゃ餌になる物もない。

芝生に戻してやろうと捕まえようとしたが、すばしっこく逃げ回って捕まえられない。

良く見ると形がカナヘビとは違うようだ。

写真を撮ろうにもスマホを近づけると逃げてしまう。

何とか撮った写真を拡大してみたらヤモリの赤ちゃんじゃないの。

赤ちゃんがいるって事は親もいるはず。

夜はカーテンを閉めちゃうから夜行性のヤモリに気がつかなかったのかもね。

ヤモリを見るのは何十年振りだろうか?

タイルは10センチ角。 動かなければゴミかと思う。
やもり

拡大してみればヤモリだわぁ~ 可愛いね。
ヤモリ





プロフィール

じぃちゃん

東京生まれの東京育ち、普通の爺さんです。
元気でいられるのも皆様のご支援のお陰と感謝しています。
ブログを通して多くの皆様と絆が深まればと、テーマもなく思うがままに書いていますが読んで下さる方がいる限り書き続けたいと願っています。

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